私は、3人の子供がいます。
2016年現在は、小あ学4年生、1年生、保育園児です。

小学4年生と小学1年生の子供には、「父ちゃん講座」というもの開いているのですが、今回はシンギュラリティについて講座をしました。

シンギュラリティとは、技術特異点と言われ、人工知能が人間の脳を上回る時に起こる出来事を指します。
ウィキペディアには、以下のように書かれています。

技術的特異点、またはシンギュラリティとは、人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうとする未来予測のこと。未来研究においては、正確かつ信頼できる、人類の技術開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点と位置づけられている。

シンギュラリティは20年後に起こる可能性が示唆されています。
つまり子供達が大人になった時に、そうした世界で生きる事になるかもしれないのです。

そこで、ロボットにコントロールされる世界について、話し合いをし子供達にも社会というものを考えてもらおうと思ったのです。

まず、今よりも少しAIが進み、ロボットが社会で活躍する社会を予想しました。

現在、レジは無人化が進み、効率が良くなっています。
イーコマースもユーザーの動向分析が進んでおり、「これを買ったらこれがオススメ!」というレコメンド機能も発達し続けています。
コールセンターは、チャットボットに変わると予想されており、人の仕事はどんどんロボットによって効率化されています。

これが少し進むと、例えば調理などはロボットが完璧にこなすようになり、安価に一流シェフの料理が食べられるようになるかもしれません。
医療についても、ナノテクノロジーの進化でほとんどの病気が完治。寿命が延びるどころか死ななくなる可能性もあります。
掃除もルンバが進化する事で、部屋が無菌状態に近くなるかもれないし、人がストレスに感じる事をロボットが肩代わりしてくれるでしょう。

そうすると、働く必要は無くなります。ロボットが代わりにやってくれるので。
奪われるというレベルではなく、もはやロボットにやってもらった方が効率よく、クオリティの高いものが生まれるというわけです。
ちょっと極端な論調ですが。

働かなくなると、お金はどうするんだ?!という議論になりますが、その時点ではお金という概念さえなくなるかもしれません。
欲しいものを欲しいだけ手に入れられるようになるのです。もっとも、これは空想の話ですが。

そうした世界を理想と捉えるか、違和感と捉えるか、子供達にぶつけてみました。

すると、小学校4年生の長女は

「ロボットはいらない!」

と強くいうのです。ストレスなく、欲しいものを欲しいだけ手に入れられる世界を否定したのです。
さらに死ななくなることに関しても

「死んだ方がマシ!」

とか、仕事をしなくていいし勉強も不要になるという事にさえも

「勉強するし、仕事もする!」

と、最後は泣いて訴えるのです。
小一の娘もつられてでしょうが、「勉強する!」と叫びます。

僕は、そうした世界を喜ぶと思っていたので意外でした。
ある程度ストレスがある事で、喜びもあると理解しているとは思えません。

幼心に説明できない違和感があったのでしょう。
僕もそうした世界がいい事なのか悪い事なのか、違和感はあるものの、何が嫌なのか説明できません。

ちょっと脅しすぎたような気もしますが、これからテクノロジーの発達によって、世の中は便利と違和感(あるいは不幸せ)の境目が曖昧になりそうです。
子供達の感じている違和感を大切にしてやりたいと思いました。

その話をした後、少し経って娘から

「今日転んで怪我しちゃった」

という話がありました。
傷口を見ると、擦り切れた跡があります。

「痛かった?泣いた?」

と聞くと

「笑っちゃった。久しぶりに転んだから、なんか楽しかった」

と言いました。
転ばない人生は楽しくないという事ですね。

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