最近の小学生は、みんな習い事をしているので、公園で友達と遊んで仲良くなるよりも、習い事を一緒にしながら、仲間意識を育むようです。
子どもに習い事は好きか聞いてみると、好き!という答えが多いのですが、それは友達がいるからであって、習っている事そのものが好きかどうかに関しては、疑問がありました。
もしかすると、子どもたちは習い事は何でもいいのではないか?
友達と会う事が目的化しているのではないか?
成長があまり見られない状態では、習い事を続ける理由が学習以外にあるような気がします。
話を聞いてみると、概ね以下のような感じでした。
「友達と会えることはもちろんだが、全てではなく割合は低い」
「もはや習慣化していて、行かない事に罪の意識を感じる」
「やっている事は楽しい。楽しいが毎日というわけではない。飽きる事もスランプもある」
「将来がどうとかそういう事ではなく、目の前の事に取り組む事が今のすべて」
友達と会う事をモチベーションにしていない事は意外でした。
と同時に、明確な目的を持ち合せる子どもも多くはない様子。
そこで今一度、勉強とは学習とは何かを、子どもたちがどう捉えているのか話し合ってみました。
子どもたちにとって、勉強は義務のような感じです。
いい学校へ進学する事は、望ましい事であり、勉強をする事はそのためである、という感じです。
ただ、意識的にそうは感じているものの、学習中は、そのように感じてはいないようです。
ヒアリングでは明言していませんでしたが、習慣化した習い事は、無意識下に置かれているように感じました。
無意識で習い事をしている最中は、記憶のないまま取り組んでいるというより、いちいち誰かの顔色を窺って学習していたり、将来へのマイルストーンを意識していたりはしません。
ただ、目の前の課題に熱中したり、飽きたりしているだけです。
効果的な学習は、無意識下にあっても「楽しんでいる」という状態にあると思います。
難しいパズルを解く事は、難しい数学を考えるときと同じ感覚があり、どちらも解けた時に大きな喜びを感じます。
では、なぜパズルは楽しくて、数学は楽しくないのでしょう。
同じ脳を使っている気はしているのですが。
実は、無意識中に要因があるのではなく、意識の中に要因がありそうです。
単純に言えば、数学を取り組むことはいいがパズルは良くない、というイメージが刷り込まれている可能性があるという事です。
このイメージを変える事が出来れば、勉強は楽しくなる可能性があります。
パズルのごとく数学を解くというわけです。
どうやってイメージを変えるか。
これはまだまだ分かりませんが、子どもたちは、誰かが楽しそうにしていると、一緒に楽しみたいという欲求が働くようです。
「数学をやらないとヤバいぞ!」
というのではなく、
「数学って超たのしい!!」
というのがいいかもしれません。
これについては、もっともっと考えていきたいと思いました。