先日、Amazonプライムで福山雅治主演の「そして父になる」を観ました。
6年間育てた子供が、実は取り違えられていたのでした、という話です。

リリーフランキーの奥さんが真木よう子という、「うんなわけあるかい!」突っ込みはいいとして、考えさせられるお父さん映画でした。

この映画は、6年間あなたの子どもがあなたの子どもでなかったらどうしますか?というような内容ではありません。
もちろん、その点についても考えさせられるんですけど、タイトル通り「父」とは何か、というテーマでした。

※以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。

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福山演じる父は、仕事一筋タイプで、成功し、誰もがうらやむ生活を手に入れています。
高層マンションに住み、子どもはエリート小学校を受験し、ピアノを学んだりなんかしています。
将来もエリートじゃこりゃ!

一方、リリーお父さんは寂れた電気屋を経営しており、貧乏子だくさんとい感じでいかにも貧しい暮らしです。
ボケた義父と生活している点も、生活の大変さをあらわしていますし、リリーお父さんはいつもお金を気にして生きています。

両極にある家族が、子どもの取り違えという事件で交差していきます。

福山お父さんの家は、裕福で絵に描いたような成功一家なんですが、どこか影があります。
画面もどこか薄暗く演出されていて、子どもの受験の日も曇り。
福山お父さんは、仕事に一生懸命で家の事は奥さん任せ。家でも仕事ばかりです。

リリーお父さんの家は、貧しいながらも笑いが絶えず、子どもたちもすくすく育っています。
ごちゃごちゃと生活感のあるリリー家の室内は、福山家のそれとは対極。

ついでにいうと、リリーお父さんは電球という明かりを売っているシーンがあります。
明かりをともす父の姿という事でしょう。

ただしリリーお父さんは、仕事に適当でちゃらんぽらんな感じ。
でも、子どもの人気は圧倒的に勝ち取るんですね。

働いているお父さんとしては、

「働いてばかりでいいんですか?」
「家の事、ほったらかしてませんか?」

と問いかけられるので辛いところです。

リリーお父さんが「子どもとお風呂入ってないんだって?」と問いかけるのですが、
福山お父さんは「うちは一人でなんでも出来るようにするという方針なので」と返します。

福山お父さんもまた、子供の頃にそのような育てられ方をされていて、自分もそれに習っているんですね。
内心は、子どもと風呂入る事よりも仕事を優先しており、子どもが一人でなんでも出来る分、自分は仕事に専念できると考えているように感じました。
なんというか、理屈的にはその方が理にかなっているという頭の良い人の考え方というか…

ところが、福山お父さんもまた父親にそのように育てられていました。
それは、リリーお父さんのセリフにも表れていて、福山お父さんはとくに否定しない事から分かります。

今自分が行なっている方針を、自分もされていた福山お父さんは、自分の父親を認めていません。
会いたがっていないですし、家族が揃うシーンでは部屋の中がやっぱり薄暗いのです。
そして福山お父さんは、あばら家に住んでいるんです。

未来の姿そこにあり、過去の姿が息子に投影されているんですね。

つまり福山お父さんは、リリーお父さんの登場によって「父」とは何かを突き付けられ、
「父」になっていくという展開を迎えるのです。
リリーお父さんの在り方を通して、子どもの気持ちを察して、血のつながりではなく絆を大切に思うようになると。

最後は、価値観の違う両家が親交を深めて、子供たちにとって最も理想的な結論を見出したような、終わり方です。
納得感もありました。

少しこの映画に違和感があるのは、仕事一筋である福山お父さんをもう少し認めてあげてもいいのではないかという事です。
福山お父さんも頑張っていて落ち度があった訳ではありません。

リリーお父さんのだらしなさはあまり語られず、福山家薄暗い部屋ばかり見せるのは、
仕事を頑張っているお父さん達はただただ辛いだけのような。。。
あ、冒頭、福山お父さんが子どもと一緒にピアノを弾くシーンと、ゲームを一緒にするシーンは、ポジティブな演出ですね。

仕事も一生懸命、家族も一生懸命、これが父親の役割なのではないでしょうか。
この映画は、リリーお父さんと福山お父さんを足して2で割る、それが理想的な父親なのではないかと提案されているように思います。

是枝監督は、家族の物語をよく描く方です。
極端な描写によって、家族を考えてもらおうという意図、自分自身の無いものねだりもそこにあったのかもしれません。

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